記憶をやりなおすことで気分をすっきりする

記憶をやりなおすことで気分をすっきりする

「記憶をやり直して、気分もスッキリ!」

 

小さい子どもにとって、世界には知らないことがいっぱいです。

寒い季節になると、部屋ではストーブをつけたりします。

小さい子が何も知らずに電気ストーブに触ると「あつい!」と思い手を引っ込めます。

そのようにちょっと不快な体験をすると、そのことは記憶として体に刻みこまれます。

 

もし、人に記憶がなかったとしたらどうでしょうか。

小さい子どもは前に電気ストーブに触れて痛い思いをしたことを忘れ、再び触れてしまうかもしれません。

そして今度は大きなやけどをする可能背もあります。

 

不快な体験を記憶に残しておくのは、再び危険なことを体験するのを避けるために、記録しておくのです。

 

そして、体験した出来事がとても衝撃的だと「トラウマ」となる訳です。

「トラウマ」とは、その人にとってとても不快な体験で、衝撃が強ければ強いほど、本能的にその記憶を

覚えておこうとする訳です。

 

 

車を運転していて、脇道から車が出てきてぶつかった、という体験をした人は、それがトラウマになったりもします。

車を運転していて、脇道から車の姿が見えるだけでドキッとしたり、車に乗っているだけで全身に力が入り汗をかいたり(危険な状態に対して、いつでも反応できるように交換神経が優位になっている状態)します。

また、ふとした瞬間にその出来事を思い出したり(フラッシュバック)、そのことを度々考えたりします。

 

その出来事が衝撃的で、自分はうまく対処できないという無力感を感じている程、それがトラウマとして

定着しやすいです。

なぜなら、そのような出来事が起きれば、その人は小さな子どものような無力感を感じ、「そのような出来事が怒ったら、私は何も対処できないし、場合によっては命が脅かされる程の危険にさらされるだろう」と強く信じている訳です。

それ程、そのような出来事が起きれば命の危険に関わるかもしれない出来事を、忘れられるはずがありません。

忘れないためにも、何度も何度も思い出し、似たような状態に置かれた時はいつでも対処できるように、

身体を緊張状態にしておかなければならないのです。

 

 

例えば、津波の被害にあったり、地震の被害にあい、家が壊れる体験をした子どもがいたとします。

そのような子どもは、なぜか積み木を積み上げては壊す、という遊びを繰り返します。

習った訳でもないのに、同じことをするのです。

子どもは自分では気づいていませんが、自分が体験したことをかみ砕いて理解しようとしているのです。

 

自分の家が壊れる程の体験というのは、その子にとって衝撃が大きすぎて、うまく受け入れられないのです。

ですから、何度も同じ遊びをして、そのことを理解しようとしています。

また、自分で積み木を積み上げて、自分で壊す、という風に自分の思い通りに体験することで、

何かよくわからない外からの出来事に振り回されている感覚から、自分でコントロールできるんだ、という感覚に変えていく訳です。

 

そして、何度もその遊びを繰り返し、自分でコントロールできたり、その出来事が消化できると、

その遊びを卒業します。

 

 

トラウマというのは、自分の命を再びそのような危険から守るために、記憶に残しているのです。

その当時の出来事に対し、自分は何もできなかった、という無力感を抱いています。

そして、再びそのような出来事が起きたら、自分は無力で相手のなすがままになってしまうから、

そのような危険を避けるために、しっかりと覚えておこう、となるのです。

少しでも似た状態になろうものなら、交感神経のスイッチONになります。全身に力が入り、汗をかき、呼吸が早くなり、その出来事に対し備えるという、命を守るためのモードに切り替わるのです。

 

 

ところで、あなたは1週間前の晩御飯のおかずに何を食べたか覚えているでしょうか?

おそらく多くの方は覚えていないことだと思います。

それは覚えていなくても、何の問題にもならないからでしょう。

このようにたいして重要じゃない記憶は、時間とともに薄れていきます。

 

 

トラウマの処理を行う時は、その当時の出来事をいったん考えてもらい、その記憶にアクセスします。

そしてその出来事に対する意味付けを変えていきます。

 

例えば、子どもの時におもちゃを壊してしまい、親に「そんな乱暴なことをするのは、うちの子じゃない」と

言われた出来事が強く記憶に残っていたとします。

そして、そのことから『私は親に愛されていない』『私は親に怒られるようなダメな人間だ』という、考えが芽生えていたのかもしれません。

 

トラウマの出来事は、自分がその時に上手く対処できなかった、という無力感から生じています。

ですから、その記憶を書き換えて、そのような状況だけど自分なりに対処できた、とすればいい訳です。

 

脳というのは、現実に起きたことと、リアルにイメージしたことの区別がつかないので、そのトラウマと

なった出来事を再体験して、ちがう内容にしてしまえばいいのです。

 

 

今回はイメージの場面にタイムスリップして、子どもの自分の中に入り、親に対して「これは前からちっと

ぐらぐらして、普通に遊んでいたら、こわれちゃったんだ」と声に出して言うのもいいでしょう。

また親に関しては「当時は年の近い兄弟がいて、余裕がなかったのかも」「優しくしてくれる時もあったから、そんな風に考えるのは極端だったのかも」と考えるのもいいでしょう。

また、当時の自分に対して「あなたが悪いわけじゃないよ」「そんなこと言われて悲しかったよね。よしよし」と言って、頭をなでるジェスチャーをしてもいいでしょう。

そんなことを客観的な立場と、子どもの立場を行き来して、その出来事をイメージの中で再体験して消化していきます。

「言いたいことを言えた」「自分のやりたいように行動できた」という事がイメージの中で達成すると、

不思議の当時のイメージが変化してきます。

何だか怖く、恐怖を感じる出来事だったものが、自分の力で不通に対処できた出来事に変わっていきます。

 

そうすると無意識は考えます。

「あれっ、今まで怖い出来事だと思っていたけど、ちゃんと対処できたし、そんな怖い出来事じゃなかったんですね。」「じゃあ、しっかりと記憶していなきゃだめだと思っていたけど、そんなにしっかり記憶に刻み

こんでいなくても大丈夫ですね」となります。

 

そうすると、その出来事を思い出しても、そんな嫌な感覚もよみがえってこなくなるし、思い出しても

「昔のできごとだなぁ」と感じたりします。

前はあれほど鮮明だったのが、何だか遠くでぼやけている、過去の思い出の1つになる訳です。

 

そうなると、その出来事は『トラウマ』という扱いを無事に卒業していきます。

 

 

このように考えると、人のメカニズムはよくできています。

トラウマとしてある程度覚えておきたい出来事は覚えておけばいいですし、それが日常生活に支障を及ぼして、

覚えておいても不都合があるなら、ちゃんと処理をしてトラウマを卒業していけばいいのです。

 

 

いろんなことを調整して、もっと生きやすい状態を作っていきましょう☆