価値観の源流をたどること

価値観の源流をたどること

「価値観の源流をたどる」

~その価値観はどうやって植え付けられたのだろう~

あなたは人との関係で、普段から優劣を気にしているでしょうか?

あの人は自分より優れている。あの人は自分より下だ…など、心の中で思っていないでしょうか?

時代によって、その時の価値観はちがってきます。

まだ原始的な時代では、太っていることが権力を持っている証である時代もありました。

食料がいつ入るかわからない時代に、太っていられるのは、それだけの財力や力があることを示していました。

日本でも年配の人は、物をため込むことが多いです。物がない時代を経験したので、物があふれていることが豊かさの象徴と感じられるのかもしれません。

逆に若い世代の人は、断捨離など、不要なものを手放すことが、精神的な豊かさを手に入れると考えている人達もいます。

またある民族では、首が長いことが、美しいことの象徴とされたりもします。

力仕事をする人にとっては、力があることが、優れていると思われるかもしれません。

また頭を使う仕事では、論理的に考えられたり、分析することが、優れていると思われるかもしれません。

組織によっては、上司の命令に従う事がいいと思われることもあれば、逆に人とは違う独創的な考え方ができる人こそがいいと思われることもあるでしょう。

昔の農村では、もくもくと働く人を配偶者に招き入れるのが、何よりもいいとされたこともありました。

ある文化では、女の子はおしとやかで自己主張しないのがいい、とされる文化もあるでしょう。

昔の侍は、ちょんまげを結ぶのが一人前の証でした。そこには誇りが込められています。

主君に命をかけて忠誠を誓うのが、美徳とされました。

もしあなたがその時代に、今の服装、髪型のままタイムスリップしたらどうなるでしょうか?

おそらく変人扱いされることでしょう。

ブランド品を身にまとう人は、それが高級品であり、その品物をもっている人間は優れている人だ、とブランド品と自分を同一化させているのでしょう。

もしそのブランドが誰にも知られていなかったら、多くの人は身に着けないでしょう。

カードゲームのカード集めがはやった時、仲間内ではレアキャラのカードを持っていることが自慢となります。なかなか手に入らないものであり、それを手に入れるのは難しいことだからです。

でも、そのカードゲームをしていない人には、その価値はわかりません。ただのカードにしか感じられないでしょう。

山里に住む人びとは、キノコを見つける能力がいいとされるかもしれません。

漁村に住んでいれば、魚を上手く釣れることが、いいことなのかもしれません。

このように、時代、文化、組織によっていいものは変わっていきます。

自分が正しいと思っていたものも、状況が変われば、正しくないのかもしれません。

ある状況では悪いと思われていたものも、違う状況では良いと思われているのかもしれません。

周りがいいと思っているのも、一時なのかもしれません。

時間が経てば、いいと思われるものも変わっていくでしょう。

周りと比較すると、常に勝ち負けで考えてしまいます。仲間内で自分が1番の時はいいけれど、自分より優れている人が表れた時、不安や焦り、嫉妬が芽生えます。

今回はそのような価値観が、どのようにして身につけられていったのかを、振り返ってもらいました。

そして、そのような価値観は当時は役立っていたのかもしれません。

同じ集団で上手くやっていくためには、その集団の持っている価値観に馴染むのが、一番適応しやすいからです。

集団の中で「いや、それは違うと思う」「それは間違っている」「もっとこうした方がいい」と意義ばかり唱えていたら、疎まれてしまいます。

多少違っていると思っていても、その考えに従ったほうが、表面上は上手くやっていけるのです。

時代とともに、常識は変わっていきます。

昔は運動部の部活中に、水を飲む事はよくないとされていました。

今では熱中症対策などで、こまめに水を摂取することが推奨されます。

少し前の大学入試では、記号を選択する問題が多かったけれど、今は自分の意見を記述する問題も増えてきています。自分で考えることが求められているのです。

今の時代、万人受けするメガヒットの商品が生まれにくくなっています。

インターネットが発達し、個人の価値観が多様化してきているからです。

世の中には新しい流行が生まれ、すたれ、さらにまた新しい流行が生まれます。

あなたの持っている価値観は、あなたがこれから生きていくのに役立ちそうですか?

今あなたが生きづらいと感じているのであれば、今まで常識だと思っていた価値観をもう一度見直してみる時かもしれません。

そして、今のあなたにふさわしい価値観を創り上げていってもいいでしょう。

どの価値観を信じるのも、あなたの自由なのです。