自分のフィルターをかえるということ。

自分のフィルターをかえるということ。

「自分のフィルターを変える」

~自分の価値は自分で決めるもの~

世の中の様々な出来事は、自分に影響を与えていると思っている人は、多いでしょう。

例えば「あなたのそういう所がよくないのよ」と言われて『私はダメな人間だ』と信じ込むこともあるでしょう。

また「あなたみたいな人は苦手なの」と言われて『私は愛されない』と信じ込むこともあるでしょう。

でも、あなたが信じ込んだことは、本当に真実なのでしょうか?

客観的な出来事としては、相手がそのような内容の発言をした、ということだけです。

「あなたのそういう所がよくないのよ」と言われて『私はダメな人間だ』と信じ込むことにしたのは、

誰でしょうか?

「あなたみたいな人は苦手なの」と言われて『私は愛されない』と信じ込むことにしたのは、

誰でしょうか?

相手の発言、行動というのは、客観的な出来事になります。

それを通して、「あっ、こういうことをすると嫌われるんだ」と信じ込んだ訳です。

同じ反応があっても、その解釈は人の数だけあります。

子どもの頃に、色がついている透明な下敷きが流行ったことがありました。

赤い透明な下敷きを通して見ると、周りが真っ赤で燃えているようです。

青い透明な下敷きを通して見ると、周りが冷たい世界のようです。

また、サングラスを通していると、「あれ、今日は暗いな」「曇っているのかな」と考えても、サングラスを外すと、「なんだ、晴れてるな。サングラスをしていたから暗かったんだ」と気づきます。

最近はパソコンなどのブルーライトをカットする、メガネもあります。

青い光をカットするので目が疲れにくくなります。

そのように自分が作ったフィルターが邪魔して、正しく見えていないのであれば、そのフィルターを外せばいいのです。

またそのフィルターが役に立つのであれば、そのフィルターを使い続ければいいですし、役立たなければそれを外せばいいのです。

他人からの言動により、「あっ、私って愛されないんだ」「役立たずなんだ」「私って、人より劣っているんだ」と、自分にラベルを貼ったのは誰でしょうか?

それを決めた人が、人生の主導権を握っているのです。

その人が「あっ、私ってそういう人間なんだ」と信じ込まない限り、その信念は芽生えないのです。

その考えを採用するか、しないかは、自分で決めているのです。

周りの人の言動は単なる情報です。周りの人が何かを言っても、それを採用するかは、その人が決めているのです。

決めているのはすべては自分自身である、と気づいた時、初めて自分でそのフィルターを外したり、新しいフィルターに差し替えたりすることができるのです。

信念にまつわるものは、それと同時に記憶が影響しています。

ゲーム感覚で記憶を調整していくと、その時の感じ方が変わっていきます。

そのように記憶を再評価することにより、その信念を変えていくことを行いました。

記憶を調整することで、自分自身に対するイメージも変わっていくから不思議ですね。